神無月

smile

神様のいない月だからか?
何故か10月になるとそわそわするらしく、
そんな今日はキリスト教をボランティアで広めてる友人からお手紙が来た。
この友人は本当にマメな人で、自身がちょっとでも聖書から学んだことを
無宗教の私にも分かり易く教えてくれる。
手紙の内容とは関係ないけど、手紙を頂いたことで
「初めに言葉ありき。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」
そんなヨハネ福音書の冒頭を思い出した。
この「言葉」と訳されている原語は、ギリシャの「ロゴス」にあたるんだけど、
日本語でいう「言葉」っていう狭い意味だけではなく、
「論理、意味、真理といった幅広い意味」をも持つ単語らしくてね。
こういうの1つとっても、
言葉における微妙なニュアンスによるズレがあるわけで、
そんなんがもう、ずーーーーっと古来から続いているわけで
こういうズレをもっと敏感に嗅ぎ分ける機械か人間の脳があったら
どんな物凄い文明が築けてたんだろう?
どんな世界があったかなぁ?ってことをたまーに思う。
そんな神無月。
でもここだけは神々が集結するので神在月の出雲大社にも出掛けたくなりますが。
それよりも何よりも友人のロゴスをちゃんと受け止められたのか?
若干心配。
た、多分大丈夫っ☆

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